母の上京物語〜最終日〜

ガムテープ

ホテルの好きなところは、朝になってもとことん部屋が真っ暗なところだ。

大きなブラインドを開けると、昨夜とは打って変わって、朝日の中にみなとみらいが静かに浮かんでいた。

おかんは「なんでテーブルにガムテープがあるの?」と俺に聞いた。

ガムテープ?なんのこと?

おかんの指差す方向をみた。

あ、たしかに、ガムテープにみえるなぁ・・・。

「おかんこれ、時計。」

「ガムテープがホテルに置かれてたらこわいやろ。」

通勤ラッシュ

顔を洗い、一階のレストランに行くと、兄貴が席を取って待ってくれていた。

昨晩も中華街で食べ過ぎたので、お粥や味噌汁などの優しい和食を食べた。

ふと外を見ると、たくさんの出勤する人がビルに吸い込まれていく。

何分経っても終わらない。すごい数の人だ。これだけの人が毎日毎日、ここを通って、定時に出勤して、夜遅くまで働き、帰って寝る。その繰り返しを何十年も続ける。ぼんやりとそんなことを考えて、締めのヨーグルトを食べていた。

工作船資料館

ホテルチェックアウト後、荷物をホテルに預け、みなとみらいに行って見ることにした。

台風直後で風が強かった。兄貴が「北朝鮮の工作船が展示されている」という。カップヌードルミュージアムや赤煉瓦倉庫もあったが、私は工作船にすごく興味を持ったので、そこに行くことにした。

海上保安庁が管理する「工作船資料館」は、赤煉瓦パークの隣にあった。

建物に入るとすぐに、巨大な船頭に圧倒された。

「これが、工作船・・・!!」

2001年、私がまだ中学1年のとき、テレビで連日報道された工作船事件。九州南西海域を航行していた不審船と海上保安庁の巡視船との銃撃戦を、当時テレビの前で、呆然と見ていた記憶がある。映画みたいだなぁと客観的に思う反面、九州のすぐ近くの海で、こんな戦争みたいなことが起きているという恐怖を同時に感じた。

船には生々しい弾痕があった。宮崎の漁船にカモフラージュしていたらしく、外装は青く塗られていた。船尾は観音開きになるように改造され、そこから小型船が飛び出るようになっている。スパイ映画で出てくるような魚雷型の1人用潜水装置もあった。こんなのが現実世界でもあるのか・・・。

工作船の中には、対空ロケットランチャーも積まれていたらしく、それを至近距離から巡視船に撃たれたらしいが、波の揺れで狙いが外れ、巡視船には間一髪当たらなかったらしい。もし当たっていたら、巡視船は或いは沈んでいただろうと、元巡視船乗組員の案内人が説明してくれた。

いつもはおちゃらけているおかんも、真剣に話を聞いていた。

「松野(母は親父のことをこう呼ぶ)を連れて来たら喜んだやろうなぁ。あの人、船とか好きやったし。」

たしかに、親父は死ぬ数年前に、船の免許を取っていた。船も買っていたが、一度も乗ることなく死んだ。

工作船資料館は、知る人ぞ知る、マニアックな場所だが、横浜に行った際には是非立ち寄ってほしい。ただしデートにはあまり向かない。笑

あかいくつに乗って

「あかいくつ」というバスにのって、ホテルに帰ろうという話になった。すると、おかんが突然「あかいくつ」という曲を歌い出した。女の子が異人さんに連れて行かれた、みたいな内容だった。なんだかとても不気味な歌で、悲しい気持ちになった。

そんなモヤモヤした気持ちのまま、「あかいくつ」に乗ったが、バスの中は、赤レンガをイメージした作りでとても可愛いかったので、すぐに楽しくなった。

ホテルで荷物を受け取り、桜木町駅から、横浜駅へ。

ついに旅の終わりが来た。

色々あったけど、

「別れるのは寂しいね」

と兄貴が言った。

兄貴とおかんは羽田空港へ、私は東京でもう一泊。

次はいつ集まれるだろうか。

来年のお盆かな。

おかんと兄貴と堅い握手をして、別れを告げた。

母の上京物語

〜おわり〜

最後まで読んでくれてありがとうございました。

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