一生懸命生きることはダサいことだ

「一生懸命生きることはダサい」と思っている。

でも「一生懸命生きることがダサいと思うことがとてもダサい」とも思っている。

報われなかったときショックじゃん

ハロウィンの夜、昔の同僚と話した。他愛のない話から、私の内面の話になってゆく。

「お前はいままで結果を出したことがあるか?」

「何かを全力でやり抜いたことがあるか?」

「死ぬ気で頑張って何かを勝ち取ったことがあるか?」

こう言われると、ひとつも首を縦に振ることができない。

そもそも、私は昔から全力で何かをしたことがない。先のことを計算して、ある程度の道筋が見えたら、50%くらいの辛くない力で物事を進めて行く。

だって全力でやってもしんどいし、報われなかったときショックじゃん。

傷付くくらいなら頑張らない

小さい頃から、無条件で私の生活は脅かされた。両親に、どんなに笑顔で接しようとも、どんな面白い話を2人にしようとも、2人の喧嘩は終わらなかった。父親は母親を怒鳴りちらし殴る。母親は子供のように泣き叫ぶ。そんな日常は小さい体の私にはどうしようもできなかった。ただただこの夜が早く終わればいい、早く明日になってほしいと願いながら、じっと下を向いて耐えるほかなかった。それは地獄であり、どんなに頑張っても世の中には変えられないものが沢山あるとしったときだった。私が頑張れば頑張るほど、私が傷付き虚しくなるくらいなら、私は頑張ることをやめよう。自分の力じゃどうしようもないことに、一生懸命力を注ぐなんて辛いだけだ。

こうして私は小さい頃から、「一生懸命頑張ることは無駄だ」と感じるようになった。

そして、一生懸命頑張っても頑張らなくても、別に死ぬわけじゃないんだし、怒られないくらいの力で生きた方が自分が傷付かなくて済む。幸い、空気を読む力は天下一品級に備わったので、その力をフルに発揮すれば、うまく世の中を渡り歩いていける。

わかっちゃいるけどやめられない

だから一生懸命頑張っている人をみても「すごいねぇ、でも明日死ぬかもしれないし、そんなに頑張っても報われないことも沢山あるから私はやらない。」と物凄く、冷めた目でみるようになっていった。

「そんなに頑張っちゃってどーすんの、明日があるさ、それでいいのだ」

こうやって生きていると確かに楽だ。波風は立たないし、自分の気持ちいいポジションを保持して生活できる。気楽気ままな感じを出していれば、なんとかなる気がする。

でも、

このままでは到達できない場所がある。

それも気付いている。

だから悩んでいる。

一生懸命頑張ったものだけが、見える世界がある。

自己対話の必要性

私はこれから、自分の中にある感情を外に出して行く練習をしていかなければいけない。今まで押し殺してきた代償は大きい。だっていざ一生懸命生きようとすると、今までの自分がすぐに「そんなに頑張っちゃってどーすんの」と横槍を入れてくるからだ。私は自己と対話する必要が大いにある。人を客観的にみることができるのに、自分のことは全く見えていない。

自分との対話をこの場所に記していきたい。だってこんなこと考えてるの、絶対私だけじゃないでしょ?誰かと共有しなくちゃね。この文章を書きながらも、「こんなに一生懸命になっちゃってダサい」と自分で思ってるよ。根が深いでしょう?

スポンサーリンク
むねたか広告_01
検索
むねたか広告_01
検索

Share

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク
むねたか広告_01
検索